神職取材ー菅原神社 禰宜 大神ー
【神職になる前、大神さんが経験してきたこと】
昔から表現することが好きで、ヒップホップダンス、ストリートダンス、パントマイムを通して舞台に立つことの面白さを知りました。もっと表現について学びたいと思い、上京して養成所に入り、演技・殺陣・日本舞踊を3年間勉強しました。
そこから友人と自分達だけの劇団を立ち上げ、令和4年の3月まで活動していました。
個人としてもプロダクションに所属し、ドラマの仕事や大きな舞台にも立ちました。
中でも大河ドラマ「真田丸」にて黒田長政役で出演したことは、私にとって大変貴重な経験になりました。
平成31年には「Vivid Cafe」という名前で一人芝居、2時間公演のツアーを東京と地元北九州で行い、この時初めて自分の中の表現の完成形が1つ見えた気がしています。東京で様々な経験を積み、場所を選ぶ事なく、どこにいても自分の表現、芝居をすることができると確信したのです。
【役者としての自分があるからこそイメージできた神職の姿】
ちょうど次の年、新型コロナウイルスが流行し、私たちの生活に大きな影響が出た時、1人の人間として、また役者としてもっとできることがあるのでは?と考えるようになりました。父に自分の想いを伝え、令和4年の4月に実家である菅原神社に神職として帰ってきました。
役者は何にもない所にその世界がある、その人物がいるということを表現するために戯曲を作り、台詞を覚え、自分の身体の中に落とし込んで役として存在します。そこにないドラマを生み出し、ないものをあたかもあるようにお客さんにお見せする、それが役者です。神職というのも、もしかしたら似たような感覚があるのかなと思いました。
神職で言えば、神様がいらっしゃる御神域、神聖な場所に自分自身を落とし込み、参拝者の気持ちを汲み取った上で、こちらも心を込めて奉仕する。いわゆる「仲執り持ち」としての立場は、神職も役者もさほど変わらないなと思いました。だからこそ今は祭式作法、祝詞奏上、神楽もしっかりしたものをお見せしたいと思っています。
神社とはなにかというのを、ずっと若い頃考えていたので、役者の時間が自分になかったら、今の自分はなかったと思います。自分の中では、俳優業と神職という人生の道が繋がりました。
【大神さんが今後力をいれたいこと】
北九州に戻ってきてまもなく、小倉城から武将隊を作ってほしいという依頼がありました。平成30年に小倉城の改修工事がありましたが、来場者の獲得が思うようにいかず、経営難となっていたための相談でした。菅原神社だけでなく、地域も丸ごと盛り上げたいという想いがあったので、小倉城で働かれていた方にも声掛けをし、小倉城武将隊を立ち上げました。
今では青年会員の神社でも演舞を奉納させていただくなど、活動の場は広がっています。地域が活き活きとし、皆が北九州のために参加してくれるようになればいいなと思っています。
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