県内神職取材ー風浪宮 禰宜 阿曇

「神社」と「木」
「大河ドラマ」という番組名があるように人生は河に例えられますが、私は神社というのは例えるなら木だと考えます。
自然界で樹木はその土地に根付くと大地に根を張り、幹が成長し、枝を多く出しながら葉を茂らせ、花が咲きます。
御神木と呼ばれる歴史がある木になるとそれは何百年、何千年の樹齢となるものもありますが、その過程で葉は毎年根元に落ち、時には大きな枝が折れ幹には穴が開くこともあると思います。しかし、幹がしっかりとしている木であれば風雪でも折れることなく、おそらく成長した姿は一つとして他の御神木と同じ形をせず立っているのではないでしょうか。
神社はその土地に鎮座すると、地域の守り神として特別の事情がない限り遠くに遷座することはありません。
また、由緒を持ち、時代ごとに例えばその年の五穀豊穣を祈念する春祭りや、実りに感謝をする秋祭りなど祭事を通じ地域の方々と共に栄えていきます。
その時代ごとには、例えば能楽に神事や祭事の様子が謡われたり、或いは地域の伝統芸能として神楽やお囃子が盛んになったり、地域の特色を備えた神事行事が行われたりします。
「神道」は木の文化であるとも一説にはいわれますが、まさしく「神社」は神様を中心として樹木と同じように地域に根差し、幹が成長するが如く地域と共に栄えていき、年毎・四季折々に葉が生え変わり、花が咲くが如く、変わらぬ祈りを捧げ、地域や住民、崇敬者、ひいては国家の安寧などを祈念します。
その歴史という成長過程では伝統・文化という枝が伸び様々な花を咲かせますが、時には時代の流れと共に咲かなくなった、或いは枝が落ちることがあるかもしれません。
しかし、その落ちた伝統文化という枝や花、或いは人々の祈りによって毎年生え変わる葉というものは、樹木の根元付近に落ち、木の養分として大地へと還り、普段の生活では見えないながらも樹木である神社の由緒や歴史として、或いは地域の足跡として神社を支えていると思います。そして、その養分は根を通じていずれ幹に取り込まれ再び同じような花、若しくは時代に則した別の伝統や文化という枝を出し、花を咲かせていくでしょう。
以上のことから神社は木に例えることができるのではないでしょうか。
(風浪宮 禰宜 阿曇)

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