去る12月6日筥崎宮において教養研修会が行われました。
講師には福島県熊野神社 禰宜 吉田定聡先生・海洋プランニング株式会社 熊谷航先生をお招きし、ご講演頂きました。
はじめにご講演された吉田先生は美浜会の会長として復興支援活動もされていますので、より詳しく福島県の現状や、震災当時の様子などをお話頂きました。神職でおこなった復興支援活動の中では、お札や神棚等はお焚き上げにしたり、家の中での作業の最後には掃き掃除を行ったりなど、神職だからこその気遣いがあったとのことでした。原子力発電所付近の様子を撮影したビデオ放映では、発電所の入口や街の様子、付近の神社の様子などを見ることができました。原子力発電所周辺では事故のため、復興が全く進まず被災した当時の様子がそのまま残されていました。被災した神社では、倒れた鳥居もそのままにされており、復興とはほど遠いものでした。
次に熊谷先生より、「なぜ津波は神社で止まったのか」についてご講演頂きました。
先生のお話では、震災後沿岸線の津波被害調査をした際に浸水線と神社の場所とが重なっており、神社を堺に津波が押し寄せ、被災していました。かつては海岸線に神社が建てられており、境界線に神様を祀りお守り頂いていたのではないかとの推測がされていました。また古い神社の方が残存数が多く、歴史が新しいものほど残存数が少なくなっているそうです。被災境界となっている神社は津波防災にも繋がります。震災記憶は8年で重視されなくなり、30年後には過去のものになり人々の記憶から消失されてしまいます。そのため、作り替えや補修を継続できるかが問題でした。神社は世代を超える存在であり、様々な文化や技術を伝承してきました。そのため地域社会が持つ弱点を、神社が補うことができるとのことでした。
ご講演の後は意見交換会が行われ、青年神職として何ができるかを話し合いました。
参加者1人ひとりが意見を出し合い、とても有意義な時間になりました。
実際に現地でボランティア活動を行うことが一番ですが、私たち神職は、仲執り持ちとして東北と福岡とを結び、遠方の地からではありますが祈りや思いを届けていければと思います。
震災からまもなく3年が経とうとしていますが、人々の記憶から風化させないために自分に出来ること、神職として出来ることを改めて考えることができました。
震災を忘れさせないためにも、定期的にこのような研修会が行われると良いと思いました。
十日恵比須神社 出仕 堀田みな美