表現と祈りについて(香椎宮 木下)
◎神職になった理由を教えてください
【神社の外から来たからこそ感じること】
私は美術大学出身なので、新しいことをしましょう、というのが常に課題としてありました。新しいことを、見たことないものを作ることで、人間の価値観、文化感を拡大させるのが芸術の役割みたいなところがあります。
それ故、僕も新しければ正しいのだと思い込んでいた時期がありましたが、そこは神社界に入って改めさせてもらえるきっかけにもなりました。
なぜ美大から神職になったかというと、「古いものは間違っていて、新しいものは正しい」とは思っていなくて、「変わっていないもの」を見つけたかったです。
「変わっていないもの」が欲しくて、それを今風に伝えるにはどんな枝葉が必要かと日々考えています。
【表現と祈りは表裏一体】
美大の時に行き詰った時期があり、新しければいいというのも少し違うのではないかと思うことがありました。表現の、芸術の起源とはなんだろう?と思い調べていくと、狩りの成功や子孫繁栄、自分ではコントロールできないものが叶ってくれるとありがたい、というような期待とか祈りのアウトプットな表現だったのです。洞窟壁画とか、土偶といった呪術的なものはまさしくそれだと思います。それらは何かにあやかろうとして、「期待」「望み」を込めて作られています。つまり表現と祈りが同時発生しているのです。
その時期から土葬が始まり、考古学的には、土を掘り返して亡骸を埋めた形跡があったのは5万年前くらいだったと思いますが、それ以前はないとされていて、それ以後は死んだ者に対しての弔いが発生しています。死者に対するアプローチみたいなのを始めているのです。
その辺りから、自分の生きている世界とは違う世界観を理解し始め、メタバース的な、違う宇宙みたいなのを認識し始めているのです。
そこから絵を描くという文化が始まっているので、神職として祈りの勉強をさせていただくことで、よりよい表現ができそうだと思っていました。それと私が社家であったため、神職にならないかというお声掛けをいただいた時期がほぼ一緒だったので、自分の表現をしていいのであればやってみたいです、と返事をさせていただき、神職になりました。今でも美術家の活動も合わせてやらせていただいています。
(香椎宮 権禰宜 木下)
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