平成25年2月19日、北九州市小倉北区足立平和公園内忠霊塔で、「福岡県戦没者慰霊祭」を執行いました。天候にも恵まれ、紅白満開の梅花の香も斎場を彩りました。
明治8年、小倉城内に歩兵第十四連隊が設置されて以降軍都となった小倉では、多くの兵士が出兵先で戦死し、高坊の丘の上と南小倉の丘の上(現在の南小倉小学校)に設置され埋葬された陸軍墓地が手狭となった為、昭和17年黒原周辺の住民や学生の勤労奉仕によって建立されたのが、この忠霊塔です。半地下の納骨堂を設置し、明治7年の佐賀の役以降の各戦役戦死者及び公務死亡者4,000数百柱を祀っています。戦前は、毎年5月3日に「招魂祭」が盛大に行われていましたが、現在は、梅・桜の名所として多くの市民に親しまれる平和公園となっています。
祭員・伶人19名の奉仕によるこの慰霊祭には、小倉南北遺族会々長林和雄様を始め、福岡県神社庁々長西高辻信良様、副庁長波多野盾夫様、福岡県護国神社宮司田村豐彦様、福岡県神社庁第2地区神職会々長波多野良紀様、更には多くの宮司様、神青会員等総勢約70名の御式辞・御参列を賜り、無事英霊に哀悼の誠を捧げることができました。

ルース・ベネディクトは『菊と刀』の中で、「人間の集団が一定の意思を持つこと、そして集団の意思は誰にも意識されないがその集団を構成する個人の意思を超越するものであること」を説いていますが、我国有史以来継承されている皇国の歴史が、「公の精神」を貫いてきた先人達の尊い命の犠牲の上に成り立っていること、換言すれば、英霊の御心の上に私たち自身の現在があること、を再確認する機会となり、参画した会員一同にとっても得難い経験となりました。

福岡県内では、英霊を祀る多くの御霊代が未だに等閑(なおざり)となっています。私たち青年神職にとって大切なことの1つは、祭典奉仕という本来の生業に立ち返り、地に足の付いた活動を行うことです。このような草の根的且つ地縁的な事業をこれからも積み重ね続けることで、現在の立ち位置を私たちが認識し、過去の叡智を学ぶことで、神道の理念に基づいた誇り高き未来の理想を描くことができるのです。「祭祀」を通して共感を得ることは、やがては「神道」の素晴らしさを多くの人たちに伝えることにも繋がります。

福岡県神道青年会副会長 波多野光隆(髙見神社 禰宜)