『守破離』
令和の挑戦
令和の挑戦
活動報告
私たち神社神職は「神道(しんとう)の心を後世に守り伝えること」
を使命に、日々神前奉仕しています。当会七十周年の節目を迎えるにあたり
「進化」と「継承」という考えのもと「守破離」~令和の挑戦~を標語に掲げ
さまざまな記念事業を企画・実施してまいりました。
その一
去る令和五年二月二十一日、沖縄戦最後の激戦地であり、四千三十柱の御霊が鎮まる「摩文仁の丘 福岡県慰霊塔前」にて「福岡県神道青年会創立七十周年記念事業 沖縄本土復帰五十周年 大東亜戦争沖縄戦 戦歿者慰霊祭」を斎行致しました。
今回のこの周年事業に先立ちまして、令和四年五月十五日に沖縄県が祖国日本に復帰して50周年という大きな節目を迎え、当会は福岡縣護国神社にて「沖縄本土復帰五十周年 国土平安祈願祭」を斎行し、祈りを捧げて参りました。
現在、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が勃発し、軍属及び一般人を問わず多くの人々が犠牲となり、また他国への避難を余儀なくされている状況等、全世界が平和への懸念を抱いております。我が日本でも、かつて大東亜戦争において国内唯一の地上戦となった沖縄戦にて、本土に対する米軍の侵攻を阻止する為、軍属はもとより一般市民や学童等十九万人以上の尊い命が捧げられてきました。この沖縄戦で散華され、国家再興の礎となられた英霊・戦歿者の御蔭で今の平和な日本があることを再認識し、その尊い御遺徳を末永く後世に継承し、我が国と世界の平和を祈り、国家繁栄の道程に貢献しなければなりません。
祭典につきましては、石川会長(第三十二代)が斎主を務め、和光会青年部(臨済宗)と共に斎行し、当青年部は「読経」をあげて祈りの言葉を捧げました。
また、福岡県の神社保育団体連合会に加入している園児が慰霊に祈りを捧げ絵付けした四十一個の提灯と、福岡縣護国神社の「みたままつり」で当会が絵付けした二個の灯籠(提灯)を斎場に献灯しました。
来賓として福岡縣護国神社 宮司 田村豐彦様を始め、神道青年全国協議会 監事 西高辻信宏様、和光会青年部 部長 上檔典久様、沖縄戦戦歿者御遺族 伊藤博文様、沖縄県福岡県人会 大山孝夫様をお招きし、玉串を捧げました。
(副会長 高山 定次)
今回のこの周年事業に先立ちまして、令和四年五月十五日に沖縄県が祖国日本に復帰して50周年という大きな節目を迎え、当会は福岡縣護国神社にて「沖縄本土復帰五十周年 国土平安祈願祭」を斎行し、祈りを捧げて参りました。
現在、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が勃発し、軍属及び一般人を問わず多くの人々が犠牲となり、また他国への避難を余儀なくされている状況等、全世界が平和への懸念を抱いております。我が日本でも、かつて大東亜戦争において国内唯一の地上戦となった沖縄戦にて、本土に対する米軍の侵攻を阻止する為、軍属はもとより一般市民や学童等十九万人以上の尊い命が捧げられてきました。この沖縄戦で散華され、国家再興の礎となられた英霊・戦歿者の御蔭で今の平和な日本があることを再認識し、その尊い御遺徳を末永く後世に継承し、我が国と世界の平和を祈り、国家繁栄の道程に貢献しなければなりません。
祭典につきましては、石川会長(第三十二代)が斎主を務め、和光会青年部(臨済宗)と共に斎行し、当青年部は「読経」をあげて祈りの言葉を捧げました。
また、福岡県の神社保育団体連合会に加入している園児が慰霊に祈りを捧げ絵付けした四十一個の提灯と、福岡縣護国神社の「みたままつり」で当会が絵付けした二個の灯籠(提灯)を斎場に献灯しました。
来賓として福岡縣護国神社 宮司 田村豐彦様を始め、神道青年全国協議会 監事 西高辻信宏様、和光会青年部 部長 上檔典久様、沖縄戦戦歿者御遺族 伊藤博文様、沖縄県福岡県人会 大山孝夫様をお招きし、玉串を捧げました。
(副会長 高山 定次)
その二
令和5年9月28日、福岡県神道青年会創立70周年事業として特別講演会を開催しました。講師に花人、御嶽行者、会社経営者としてご活躍の山本文弥先生をお招きし、記念講演会、トークセッション、グループワークの3部構成での実施となりました。
第1部の講演会では「神が不在の時代を、神とともに生きる」をテーマに、現代の信仰の在り方、花と神の関係、我々宗教家とそうでない方のかかわり方など、ご自身の経験を踏まえて多岐にわたってお話しいただきました。第2部では、筆者が聞き手として参加者からの質問を受けながら、現代資本主義社会と宗教家のかかわり方や、SNS社会の正義や倫理についてトークセッションを行いました。第3部のグループワークでは、参加者に「神聖さを感じるモノ、コト、瞬間」の現物または画像を持参してもらい、各々の感じる神聖さについて意見交流を行い、掘り下げる活動を行いました。
ニーチェの「神は死んだ」という言葉が示唆するように、現代は日常において神の存在感が薄れている、敷衍すると所謂「迷惑系YouTuber」の登場などに象徴されるように、倫理観や道徳、過去や未来よりも「イマ、ココ」が優先される世の中であると言えます。一方で、SBNR(Spiritual but not Religious)と呼ばれる層が拡大しており、これは人々がお金などの資本以外の、目に見えないものにも価値を見出し、求めていることの表れであるとも考えられます。
日ごろ生活をしていて、「胡散臭い」「怪しい」といったネガティブなニュアンスを含んだ「宗教っぽい」という表現に出会うことが多くあります。一方でマインドフルネス、ウェルビーイングなどの「よりよく生きる」という(宗教家である我々からすると良い意味で十分に宗教らしい)概念は、「宗教じゃないから大丈夫」と保険を掛けられています。神社に馴染みを持ってほしい、たくさんの方に神社を訪れて良さを感じてほしい、というのは神職共通の思いかと思いますが、一方で「宗教だから」敬遠されるという難しさも抱えています。山本先生はご自身の花との出会い(=神仏との出会い)を踏まえ、必ずしも「これは宗教だから」「これが神道だから」と振りかざす必要はなく、「なんかちょっと面白そう」くらいの軽薄な入口でいいので、興味を(バックミンスター・フラーが言うところの)「発電」させることが重要であるとお話されていました。
グループワークでは、創立70周年のテーマである「守破離」を踏まえてテーマを設定しました。我々青年神職が「守破離」を体現するためには、これまでの歴史の文脈を踏まえ、世界との接点を持ちながら自らの世界を構築する必要があると考えました。そこで、我々が神職たる由縁、原点への回帰と、過去、未来、世界との接点として思考を原始へ回帰させるため、「神聖さ」というキーワードを設定し、各人の根底にある神様と向き合う心を見直す意見交流を行いました。
山本先生の「現代人は誇り(理想・公共と普遍)と暮らし(現実・個人の欲望)の天秤を抱えて生きている」という言葉の通り、倫理的に生きることと経済的に満たされることの両立は難しく、誰しも心に葛藤や悩みを抱えながら生きています。その葛藤に真摯に向き合うことの大切さを参加者全員で共有し、「神聖さ」というキーワードを突き詰めることで現代社会との関わり方について思いを共有できたことは、70周年という節目にあたって向後の当会の継続、発展に寄与する価値ある時間となったのではないかと思います。
(研修委員長 波多野正紘)
第1部の講演会では「神が不在の時代を、神とともに生きる」をテーマに、現代の信仰の在り方、花と神の関係、我々宗教家とそうでない方のかかわり方など、ご自身の経験を踏まえて多岐にわたってお話しいただきました。第2部では、筆者が聞き手として参加者からの質問を受けながら、現代資本主義社会と宗教家のかかわり方や、SNS社会の正義や倫理についてトークセッションを行いました。第3部のグループワークでは、参加者に「神聖さを感じるモノ、コト、瞬間」の現物または画像を持参してもらい、各々の感じる神聖さについて意見交流を行い、掘り下げる活動を行いました。
ニーチェの「神は死んだ」という言葉が示唆するように、現代は日常において神の存在感が薄れている、敷衍すると所謂「迷惑系YouTuber」の登場などに象徴されるように、倫理観や道徳、過去や未来よりも「イマ、ココ」が優先される世の中であると言えます。一方で、SBNR(Spiritual but not Religious)と呼ばれる層が拡大しており、これは人々がお金などの資本以外の、目に見えないものにも価値を見出し、求めていることの表れであるとも考えられます。
日ごろ生活をしていて、「胡散臭い」「怪しい」といったネガティブなニュアンスを含んだ「宗教っぽい」という表現に出会うことが多くあります。一方でマインドフルネス、ウェルビーイングなどの「よりよく生きる」という(宗教家である我々からすると良い意味で十分に宗教らしい)概念は、「宗教じゃないから大丈夫」と保険を掛けられています。神社に馴染みを持ってほしい、たくさんの方に神社を訪れて良さを感じてほしい、というのは神職共通の思いかと思いますが、一方で「宗教だから」敬遠されるという難しさも抱えています。山本先生はご自身の花との出会い(=神仏との出会い)を踏まえ、必ずしも「これは宗教だから」「これが神道だから」と振りかざす必要はなく、「なんかちょっと面白そう」くらいの軽薄な入口でいいので、興味を(バックミンスター・フラーが言うところの)「発電」させることが重要であるとお話されていました。
グループワークでは、創立70周年のテーマである「守破離」を踏まえてテーマを設定しました。我々青年神職が「守破離」を体現するためには、これまでの歴史の文脈を踏まえ、世界との接点を持ちながら自らの世界を構築する必要があると考えました。そこで、我々が神職たる由縁、原点への回帰と、過去、未来、世界との接点として思考を原始へ回帰させるため、「神聖さ」というキーワードを設定し、各人の根底にある神様と向き合う心を見直す意見交流を行いました。
山本先生の「現代人は誇り(理想・公共と普遍)と暮らし(現実・個人の欲望)の天秤を抱えて生きている」という言葉の通り、倫理的に生きることと経済的に満たされることの両立は難しく、誰しも心に葛藤や悩みを抱えながら生きています。その葛藤に真摯に向き合うことの大切さを参加者全員で共有し、「神聖さ」というキーワードを突き詰めることで現代社会との関わり方について思いを共有できたことは、70周年という節目にあたって向後の当会の継続、発展に寄与する価値ある時間となったのではないかと思います。
(研修委員長 波多野正紘)
その三
去る令和5年12月6~7日、福岡県神道青年会創立70周年記念事業「神宮参拝並びに神宮古殿地清掃奉仕」を行いました。
神宮式年遷宮は、天武天皇の御発意により、持統天皇4年に皇大神宮で初めて斎行され、 1300年以上に亘り継承されています。日本古来の建築様式を式年の周期を以て新たに造り替えるという方法で継承されてきたことは世界にも類例を見ません。
一般には入る事の出来ない特別な古殿地において清掃奉仕を行う事は、神宮への崇敬の念を醸成すると共に次期式年遷宮に向けて意識啓発を図ることに繋がると考えます。次期式年遷宮は前例に倣うと令和6年に天皇陛下の御聴許を拝し、遷宮諸祭が始まります。式年遷宮迄10年となる今、我々青年神職だけでなく氏子崇敬者にとって更なる意識高揚を図る絶好の機会となりました。
天皇陛下の御聴許を拝したのち、古殿地は新御敷地へと名称が変わることになります。場所は変わらずとも古殿地として最後のタイミングで御奉仕できたことは、我々青年神職をはじめ氏子崇敬者の方々にとっても、この上ない貴重な経験になりました。
本事業に御理解をいただき、御参加いただきました皆様。また、参加の許可をいただきました各社の宮司様に心から感謝申し上げます。
(副会長 久富真道)
神宮式年遷宮は、天武天皇の御発意により、持統天皇4年に皇大神宮で初めて斎行され、 1300年以上に亘り継承されています。日本古来の建築様式を式年の周期を以て新たに造り替えるという方法で継承されてきたことは世界にも類例を見ません。
一般には入る事の出来ない特別な古殿地において清掃奉仕を行う事は、神宮への崇敬の念を醸成すると共に次期式年遷宮に向けて意識啓発を図ることに繋がると考えます。次期式年遷宮は前例に倣うと令和6年に天皇陛下の御聴許を拝し、遷宮諸祭が始まります。式年遷宮迄10年となる今、我々青年神職だけでなく氏子崇敬者にとって更なる意識高揚を図る絶好の機会となりました。
天皇陛下の御聴許を拝したのち、古殿地は新御敷地へと名称が変わることになります。場所は変わらずとも古殿地として最後のタイミングで御奉仕できたことは、我々青年神職をはじめ氏子崇敬者の方々にとっても、この上ない貴重な経験になりました。
本事業に御理解をいただき、御参加いただきました皆様。また、参加の許可をいただきました各社の宮司様に心から感謝申し上げます。
(副会長 久富真道)