1. HOME
  2. ブログ
  3. 時代と共に変わりゆく祈りのかたち(香椎宮 木下)

時代と共に変わりゆく祈りのかたち(香椎宮 木下)

◎木下権禰宜が考える「祈り」と香椎宮について

【時代と共に変わりゆく祈りのかたち】

古代的なことでいうと、仏教が入ってくる前の最初の古代祭祀の頃、宗像の沖ノ島の祭祀や、志賀島のまだ神社化していない頃、その時代はきっと自分の幸せは祈っていないと思います。村という共同体の平和を祈る、それが気持ちのいい祈りだったはずです。いつの間にか個人的な祈りをすることが多くなったのは、各々の生活の余裕が出てきたためでしょう。

それがもう一回ピークに個人主義になりつつある中で、この先の時代は一周回ってもう一度、全体の幸せを祈るように自然となるのではないかと思っています。

AIが進んで、働くという言葉の定義が変わり、収入を得るということがほぼAIが回すようになります。いまは働くことで時間を潰していますが、それは収入を得ることができるからです。収入を得るために働くというではない、違う定義になっていきます。「働く=お金を得る」という意味ではなくなってくるだろうなと思っていて、そうすると何で喜びを得るのかということになり、お金ではない、心の満足感になってきます。

【みんなの幸せを祈ることが自分にとって最大の幸せ】

心の満足感は自分が幸せだったら得られるだろうかと考えると、たぶん自分一人が幸せだという満足感と、自分がみんなを幸せにさせたという満足感は、どっちが高いだろうとかという話になります。そうなってくると神社は、その他心を扱う宗教施設はぜんぶ、利他的な、全体的な幸福とか平和・発展を示し合う場所になっていくだろうと思います。

香椎宮はそれを「夫婦」「愛繋ぐ香椎宮」というキーワードで伝えています。みんなの幸せを祈る、というモットーを進めていて、そのみんなという範囲に取りこぼされる人が可能な限りいないように、神社は努めなければいけません。

香椎宮は勅祭社でありつつ、それと同時に同じ年数、地元の神社でもあります。日々は地元の神社であって、皆さんの憩いの場とか公園とか、遊びに来たりお参りに来たりと、その両方がある勅祭社です。そういった香椎宮ならではの側面も大切にしていきたいです。

(香椎宮 権禰宜 木下)

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事